たった一時間の荷風詫訪問時に受けた印象を二日酔いのキーンさんは、バートランドラッセルのような美しい英語だったと書いてますね。ちなみに私は荷風大大好き人間です。長い渡航生活を経た荷風は、神経質な芥川でも不安定な太宰でもなく攻撃的な安吾でもない、戦中でも戦意高揚策に協力せず普段と変わらぬ生活(疎開することなく、爆弾当たっても良い精神)をつづけた自由な自然人でした。キーンさんと親密な関係であったなら、もっと多くの荷風評を聞けたはずと私は悔しがります。
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キーンさん追っかけ横浜の獣医
(2020-04-14 10:45)
キーン先生の「日本人の戦争」で永井荷風とフランス文学の教授の考え方が一番納得できました。荷風はあの時代なのに,はっきり物を言えたのは,出る杭でなく出過ぎた杭は打たれない,のような状況だったのかもしれません。図書館は閉館中ですが,ネットの「青空文庫」なら読めるかもしれないので探してみます。
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小林英子
(2020-04-14 23:37)
永井荷風の実子説、興味深いですね。藤陰静枝の名前はなんとなく記憶にありましたけど、新潟の人だったんですね。文化功労者にもなっていて日舞において実力者だったのでしょう。 父は荷風の話をするのが好きでした。生の荷風談義は面白かったです。「青空文庫」は、父も石川啄木を執筆するとき時々利用していました。 『文藝』の源氏特集読み始めましたが面白いですね。父はあのなかで、レヴィストロースとユルスナールに会っていますから、源氏の話をしたのでしょうか?聞いておくべきでした。残念!!です。
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お名前(必須)
(2020-04-15 22:50)
一人住まいの荷風は昭和34年4月29日に近くの大黒屋で、いつものようにカツ丼と一緒に日本酒お燗一合を平らげた夜半に79歳で急死しておりますが、そのことも「断腸亭日乗」に書き留めてあります。翌日にはキーンさんとも懇親だった中央公論社社長の嶋中鵬二氏も駆けつけてきます。息子たち家族とも離れて一人で孤独死。放蕩人生あって学識経歴のないのに鴎外の勧めで文学部主任となった荷風。彼がいたからこそ慶応大学文学あるいは三田文学があり。ニューヨークにも田舎にも住んだ荷風。キーンさんがMETに初めて行ってオペラを見た30年前に荷風も同じ場所でオペラを見たのですから、そのことを知ったらキーンさん、少年のように子踊りしながら喜んだに違いない。笑
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キーンさん追っかけ横浜の獣医KK
(2020-04-16 17:06)
そうなんですよ、父は、荷風がMETに行ったことを「断腸亭日乗」で知っていて、とても喜んでいました。そしてカルーソというテノールを実際に聴いたことをものすごく羨ましがっていました。
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越後 角太夫
(2020-04-16 22:50)
そうですか!キーンさんもご存じだったんだ!嬉しいですね。荷風はMET でワーグナーの「トリスタンとイゾルデ」を見たと書いてますから、この時、確かにカルーソのテノールを聴いたのでしょう。いやあ、キーンさんですら、羨ましがるのですから。天国でも対談してほしいですねえ。
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キーンさん追っかけ横浜の獣医KK
(2020-04-17 15:50)
満開の桜もいいですが,散りゆく桜も同じ位,綺麗ですね。世間で騒がれていても桜は何事もなかったかのように咲くのが,自然の大きさを気付かせてくれます。キーン先生は永井荷風とお会いしたこともあったようですが,永井荷風と一時期結婚した女性が新潟出身でパリで初めて舞踊を披露した藤陰静枝で,実は子供もいたという説もあるようです。 https://moekire2.exblog.jp/13572293/?fbclid=IwAR2pQKhD5WzIK6JfOTkUH58UyStrriUn4YytI04mcXAbE6U5snKENmRvhyU
by 小林英子 (2020-04-13 23:34)
たった一時間の荷風詫訪問時に受けた印象を二日酔いのキーンさんは、バートランドラッセルのような美しい英語だったと書いてますね。ちなみに私は荷風大大好き人間です。長い渡航生活を経た荷風は、神経質な芥川でも不安定な太宰でもなく攻撃的な安吾でもない、戦中でも戦意高揚策に協力せず普段と変わらぬ生活(疎開することなく、爆弾当たっても良い精神)をつづけた自由な自然人でした。キーンさんと親密な関係であったなら、もっと多くの荷風評を聞けたはずと私は悔しがります。
by キーンさん追っかけ横浜の獣医 (2020-04-14 10:45)
自然の恵みは本当に美しく人間の心を癒してくれます。私の亡き母が
育てていた君子蘭も綺麗に咲きました。
キーンさん追っかけ横浜の獣医 さんのコメントを読んで、今私が黄犬交遊抄で読んでいるところが永井荷風が日記を大切にしていたと書いてありましたので、私は記録のようなものですが、中学生の国語の先生の影響で毎日今はパソコンですが日記を書いています。
キーン先生の本は私のような者にも分かりやすく書かれているので、読みやすく思います。
本当にいろいろとお調べになって書かれているのに感心しながら読んでいます。
by 和田純子 (2020-04-14 15:29)
キーン先生の「日本人の戦争」で永井荷風とフランス文学の教授の考え方が一番納得できました。荷風はあの時代なのに,はっきり物を言えたのは,出る杭でなく出過ぎた杭は打たれない,のような状況だったのかもしれません。図書館は閉館中ですが,ネットの「青空文庫」なら読めるかもしれないので探してみます。
by 小林英子 (2020-04-14 23:37)
小林様
コメントを読ませていただき、ネットの「青空文庫」を検索して、小泉八雲の「耳無芳一の話」を読みました。
教科書で習った時の記憶が浮かび、とても懐かしく思いました。
今の時代は本当に便利ですね。
パソコンがあれば、何でもできて視野が広がります。
またひとつ高齢者の友達はパソコンが苦手なので、自慢できるのが増えました。
ありがとうございました。
by 和田純子 (2020-04-15 13:55)
永井荷風の実子説、興味深いですね。藤陰静枝の名前はなんとなく記憶にありましたけど、新潟の人だったんですね。文化功労者にもなっていて日舞において実力者だったのでしょう。
父は荷風の話をするのが好きでした。生の荷風談義は面白かったです。「青空文庫」は、父も石川啄木を執筆するとき時々利用していました。
『文藝』の源氏特集読み始めましたが面白いですね。父はあのなかで、レヴィストロースとユルスナールに会っていますから、源氏の話をしたのでしょうか?聞いておくべきでした。残念!!です。
by お名前(必須) (2020-04-15 22:50)
一人住まいの荷風は昭和34年4月29日に近くの大黒屋で、いつものようにカツ丼と一緒に日本酒お燗一合を平らげた夜半に79歳で急死しておりますが、そのことも「断腸亭日乗」に書き留めてあります。翌日にはキーンさんとも懇親だった中央公論社社長の嶋中鵬二氏も駆けつけてきます。息子たち家族とも離れて一人で孤独死。放蕩人生あって学識経歴のないのに鴎外の勧めで文学部主任となった荷風。彼がいたからこそ慶応大学文学あるいは三田文学があり。ニューヨークにも田舎にも住んだ荷風。キーンさんがMETに初めて行ってオペラを見た30年前に荷風も同じ場所でオペラを見たのですから、そのことを知ったらキーンさん、少年のように子踊りしながら喜んだに違いない。笑
by キーンさん追っかけ横浜の獣医KK (2020-04-16 17:06)
そうなんですよ、父は、荷風がMETに行ったことを「断腸亭日乗」で知っていて、とても喜んでいました。そしてカルーソというテノールを実際に聴いたことをものすごく羨ましがっていました。
by 越後 角太夫 (2020-04-16 22:50)
そうですか!キーンさんもご存じだったんだ!嬉しいですね。荷風はMET でワーグナーの「トリスタンとイゾルデ」を見たと書いてますから、この時、確かにカルーソのテノールを聴いたのでしょう。いやあ、キーンさんですら、羨ましがるのですから。天国でも対談してほしいですねえ。
by キーンさん追っかけ横浜の獣医KK (2020-04-17 15:50)