随筆「心は、一枚の紙」について [掲載記事・取材など]
随筆「心は、一枚の紙」について
朝日新聞の鷲田清一先生の「折々のことば」で引用された「心は、一枚の紙」は、『黄犬交遊抄』(岩波書店)の初出一覧によると『週刊文春』2011年10月6日となっています。父がその掲載誌を私に嬉しそうに見せ、そのままそれを私がもらったことを覚えていますが、その『週刊文春』は今手元にありません。そのうちにどこかから出て来るでしょう。
ここに2016年12月発行で、発行元が日本製紙連合会、制作が(株)文藝春秋の『紙の春秋(著名人が描く紙のある風景)』という小冊子があります(残念ながら非売品)。43名のいわゆる著名人が、2010年6月3日号から2015年4月2日号まで登場して紙について書いたエッセイが掲載されたと思います。インタヴュー記事もあるかもしれません。
この連載記事はたぶん日本製紙連合会がスポンサーで掲載されたものと想像しています。
新井満、細川護熙、松元幸四郎、ロバート・キャンベルなど父の友人もあります。
その記事が全て載っています。とてもいい小冊子です。
父のページを写真に撮ってそのままアップさせて頂きました。文章は、ブログの写真ではお読みになれないと思いますが、父の写真がとてもいい感じです。もうこの頃私は、父と一緒に生活してたのですが、撮影には立ち会っていませんでした。なにかの用事で不在だったのでしょう。
更新されたのを読ませていただきました。
紙の春秋は非売品だったのですね。
キーン先生のお写真素敵です。
紙のエッセイなんて、何とロマンチックな題だと思いました。
by 和田純子 (2020-04-25 16:23)
こんにちは。
貴重な資料を掲載してくださいまして
ありがとうございます(^O^)
癒されました!
by ピら手 (2020-04-25 20:56)
https://www.jpa.gr.jp/about/pr/pdf/201110_donald.pdf
公開されていました。
日本の文化に和紙は欠かせませんよね。特に江戸の識字率の高さは世界でも群を抜いていたと言われています。貸し本業や寺子屋の存在も,和紙が安定的に供給されていたからこそ。火事が多かった江戸で,和紙は水をかぶっても乾かせばまた使えたということです。ミツマタの木を見つけると何故が嬉しくなります。
by 小林英子 (2020-04-26 19:30)
新潟へ帰省の折、柏崎にD.キーン氏ゆかりのセンターがあるのを知り、どうしてここに?と不思議な気持ちでした。
それが、ご子息であられる誠己さんが、同じ新潟のご出身である関係で、古浄瑠璃復活公演が行われたことが機縁と伺い、合点がいきました。このブログの存在もそのつながりで偶然訪問させていただき、マスコミを通しては知るよしのない、お二人の日常を知ることができてうれしく思います。
無量寺も緑が多く美しい境内、すがすがしいですね。八重桜がすばらしいだろうと思いましたが、今年の様子を伝えていただき、ありがとうございます。
『黄犬交遊抄』、店頭にて並んでいるところを手に取らせていただきました。黄色の布装丁がすてきですね。その巻末、誠己さんの文章もよませていただき、お二人の新宿文化センター楽屋での出会いから、その後の詳細なやり取りの一端を奇跡のように感じました。ブログとはまた異なる自制のとれた格調高い文章、美しいです。キーン氏が最後まで太夫子名を呼ばれていらしたこと、それはまるで文楽の人情世界のようだとわたくしには思われます。
by 和光同塵 (2020-04-27 15:09)
小林様
いつもありがとうございます。
キーン先生の紙と私をもう一度読ませていただきました。私は
高校時代書道部でしたので紙に対しては興味があります。
日本の和紙は素晴らしいと思います。
和紙に筆で字を書く時に緊張しました。
by 和田純子 (2020-04-27 22:14)
https://www.jpa.gr.jp/about/pr/shunju2014.html こちらでバックナンバーを見ることができます。
https://www.jpa.gr.jp/about/pr/pdf/201409_robertcampbell.pdf
江戸時代の人は本をめくるときも必ず,隅だけに触れるようにして,多色刷りでもきれいなまま鑑賞できるようにしていたようです。
マスク欠品も経験したので,紙は大事にしたいと思いました。
by 小林英子 (2020-04-27 23:13)