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『黄犬交遊抄』について [ドナルド・キーン]

『黄犬交遊抄』について

『黄犬交遊抄』(岩波書店)について少し。

とても素敵な装丁、製本だと思います。装丁の黄色は父のトレードマーク(と言っていいか分かりませんが)黄犬の象徴ですし、クロスの書籍は父の好みでした。

主に、編集者の岩元さんの発案でしたが、全体として父が喜びそうな感じに仕上がり、とても感謝しています。

そして本文の構成も、目次からお分かりのように、”黄犬交遊抄”にふさわしく知人友人などの交友、書籍としてこれまで未収録だった講演、そして最後の「附 西ヶ原日乗」は、父の日常の思いや考え、という内容です。

「心は、一枚の紙」や「雨」は、「附 西ヶ原日乗」にあります。父のお気に入りのエッセーは、「遠慮の名人」だったと思います。

「私とフランス語の本」も私は好きですが、91歳の父が、なにも調べずに日本語で一気に書いたのには、驚きました。

『黄犬交遊抄』は、一部試し読みが出来るのが嬉しいです。


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和光同塵

『黄犬交遊抄』、店頭にて並んでいるところを手に取らせていただきました。黄色の布装丁がすてきですね。その巻末、誠己さんの文章もよませていただき、お二人の新宿文化センター楽屋での出会いから、その後の詳細なやり取りの一端を奇跡のように感じました。ブログとはまた異なる自制のとれた格調高い文章、美しいです。キーン氏が最後まで太夫名を呼ばれていらしたこと、それはまるで文楽の人情世界の機微そのものようだとわたくしには思われます。
by 和光同塵 (2020-04-27 23:14) 

小林英子

これまでの自伝の最終章のようでとても充実した内容でした。アーサー・ウエイリーの『源氏物語』と出会って美しさに魅了された部分のもっと奥の背景(戦争という時代も含めて)があったのではないかとキーン先生の大学時代を探ってみるとたくさんヒントがわかってきました。あの当時,西洋の文化に対して幻滅を感じている若者が多く,学ぶべき文化はどこにあるかというと東洋にあるのではないかと,若い詩人がパウンドの崇拝者になったと『文学ときどき酒』の対談の中でキーン先生が話しておられました。私もそうではないかと思っていましたが,やはり先生の口から明言されていて納得です。ビートの詩人然り。アーサー・ウエイリー,エズラ・パウンド,ボストン美術館のフェノロサの点と点が繋がり線となり,とってもすっきりしました。キーン先生は翻訳の正確さよりも,その美しさを評価する点も再発見しました。キーン先生を辿ると文学史を遡る楽しみがあります。
by 小林英子 (2020-04-28 01:29) 

和田純子

こんにちは!
和光同塵さんのコメントを読ませていただき、キーン先生と誠己さんの出会いが奇跡と書かれていますが、私もそう思っています。
『黄犬交遊抄』は本当に素晴らしい本です。
手にした時には黄色の表紙に幸せ感を感じました。
大勢の方に読んでキーン先生を知っていただきたいです。

by 和田純子 (2020-04-28 13:11) 

小林英子

 2020年春の褒章の受章者に作家の篠田節子さんが選ばれましたが,(著書ほとんど読みました!)「病原体の脅威以上に差別やヘイトが出てきている。どうものを見て、判断力を養うのかは文化の力にかかっています。少しでも貢献したい」とおっしゃっていました。文化の力は目に見えないけれども,だからこそ重要だというのはとても納得しました。
 国立劇場のオンラインの『吉本千本桜』観ました。以前も観たことありますが今回の尾上菊之助さんは流石でした。谷崎潤一郎も『吉本千本桜』を子供のころ観て影響受けたそうですね。大阪の文楽の千本桜が中止になったので,今回は歌舞伎で観ると友人は言っていました。菊之助さんは新潟を舞台にした「下町ロケット」にも出ていました。
by 小林英子 (2020-04-29 00:03) 

和田純子

今日の朝刊に春の受賞者に篠田節子さんがあったのを、私も見ました。
仕事を急に失い図書館に通いいろいろな本を借りて読みました。
その時には余り有名ではなかったのですが八王子市役所にお勤めになり、お母様を良く看取られていたのを知っています。
メモには玩具、白い壺、軒忍、水中花、弦月、と短編の作品でした。

本当なら今日は上京して「日本文化の伝道師ドナルド・キーン
黒田杏子さんとスペシャルゲスト誠己さんのお話し聞けたのに残念です。
by 和田純子 (2020-04-29 16:11) 

小林英子

「義経千本桜」の間違いでした。失礼いたしました。
東京は図書館も閉館中です。近隣の学校もオンラインで授業始めたりする学校,問題集の宿題を課題として出すところなど千差万別のようです。コロナ問題が長引くと教育面が心配です。
篠田節子さんの住む八王子はかつて関東周辺、多摩地域の生糸の集積地で直接八王子から横浜港のある横浜へ生糸が送られ,生糸が輸出されその道が「絹の道」と言われ,その絹をテーマに篠田さんは本も書かれています。
対談残念でしたが,是非,次回に!
クロスの本は落ち着いた雰囲気があります。『日本人の戦争』を読み返し,あの頃は今よりもっと大変だっただろうと思いながら読んでいます。
by 小林英子 (2020-04-29 17:29) 

和田純子

小林様
篠田節子さんが「絹の道」をテーマに本を書かれているのですね。私の娘は去年から繭から糸を紡ぎ布を作る講座に東京から群馬に通っていましたが、途中で中止になりがっかりしています。私が暇なのでゆうーパックで染色にするムラサキ、アイ、紅花の種と説明書が送られてきて、植えて欲しいようです。
去年は綿の種を植えました。
新聞で新国立劇場の「巣ごもりシアター」をやっているのを知りました。
黒田杏子さんはジパング俱楽部の選者になっていました。

by 和田純子 (2020-04-29 19:33) 

小林英子

和田様 
篠田節子の『絹の変容』は「絹の道」がテーマではなく絹がテーマのややサスペンス調の小説です。八王子には今も養蚕農家が一軒あるようです。蚕といえば上皇様,育てられた蚕の絹糸で作った弦の琵琶が,東京国立博物館の正倉院展に展示されていました。紅花は『奥の細道』で芭蕉が滞在した山形のお宅は裕福な紅花問屋でした。
 誠己さんがもっと早くキーン先生に出会っておられ,私ももっと早く知ることができていたら,『明治天皇』の本を書かれたキーン先生なら興味を持ったでしょう明治天皇巡幸の際,休憩するために建てた小さな家が実家に今も残っているのです。当時の書や履かれたスリッパも残っていると思います。
by 小林英子 (2020-04-29 21:33) 

和田純子

小林様
ご丁寧にありがとうございます。私の無力な勘違いでした。
由緒あるお家の小林様とキーン先生がお会いしていたら、どんなにキーン先生と会話が弾んだのではないかと思いました。
明治天皇のことをキーン先生の本で知りました。
質素を好まれて、戦争は反対だったのでした。

コロナで新国立劇場で公演するはずだった「ジュリオ・チェーザレ」の第一幕・第二幕の稽古場風景よりを観ることができて、至福の時間でキーン先生を思い出していました。
素晴らしかったです。
by 和田純子 (2020-04-30 09:04) 

小林英子

和田様
由緒などないですが,義兄も姉も大学の国文科卒で,姉は大学時代狂言の発表したとか,拓本取ったりしていたのを覚えています。義兄は早稲田の国文科卒なので,もしかしたら鳥越先生の授業受けたかもしれません。今は校長退職し福祉関係の仕事しています。江戸の書も家にありますが身近過ぎてあまり気にもとめてないようです。
by 小林英子 (2020-04-30 13:49) 

和田純子

小林様
早稲田に息子を行かせたかったが、見事落ちました。
でも、運が良く国立大に合格しましたが、大学院まで行ったのに入社した翌年には倒産と何事もうまく行かないのが世の中だと思っています。
今は地元に戻り小さな会社ですが専務となり真面目だけが取り柄です。
お姉さまが狂言の発表会などなさり、素晴らしいご家族ですね。
娘はバレエをやっていました。
by 和田純子 (2020-04-30 15:46) 

小林英子

『黄犬交遊抄』を読むまでキーン先生がこれほどの孤独と闘っていたとは気づきませんでした。家族への渇望の最後の1ピースが埋められて,本当に嬉しかったのだと思います。そしてマリアカラスを称賛したキーン先生は,彼女の並外れた才能の歌声の陰に,彼女の家族,特に母親との葛藤や軋轢を乗り越えて精進してきた姿に重なるものがあってよりファンになったのかとも思えるようになりました。あくまで推測ですが。
学者としての姿と人間としての姿と両方垣間見ることができ,日本に帰化され大きな荷を下ろしたのではないかというキャンベル先生の意見もうなづけました。
誠己さんも今まで気を遣われたでしょうから,これからは好きな分野を楽しんでください。
by 小林英子 (2020-04-30 22:13) 

和田純子

キーン先生の本で私も孤独に戦っていたのを知りました。私も
家族には恵まれなかったので、すごく感動してそのことは痛いほど伝わりました。
キーン先生はマリアカラスの歌で心が救われていたと思います。
誠己さんにお会いして、キーン先生の真心が伝わり、神様が二人を会わせてくださったのではないかと私は思っています。
誠己さんの心痛はよく分かります。
本当にご無理をなさらないでください。

by 和田純子 (2020-05-01 09:42) 

お名前(必須)

皆様の沢山のコメントをとても嬉しく拝読いたしました。和光同塵さんや和田さんには『黄犬交遊抄』の私の文章をお褒め頂き、本当にありがとうございます。篠田節子さんのことは最近知ったばかりでした。現在作家とはあまり縁がなかったのですが、読んでみたい方が多くなってきました。
マリア・カラスの家族のことを父は何度か話していたので、きっと自分のことも思いめぐらせていたかもしれません。が、よく分かりません。
小林さんの書いておられた、篠田一士、丸谷才一、父の鼎談を久しぶりに読みましたが、すごく面白かったです。最初に読んだときはいつの頃か忘れましたが、読み流しただけだったでしょうね。
今回は、父の本棚にあるThe Translations of EZRA POUNDなどを参照しながら少しは深く読めた感じがしました。それにしても気心の知れた三人の話は面白く、ドナルド・キーンのユーモアも絶品でした。また小林さんのご実家のことも興味深く読ませて頂きました。『文学ときどき酒』の対談もまた読んでみたくなりました。私は一度くらい読んでも忘れていることが多いです。

by お名前(必須) (2020-05-01 16:18) 

和田純子

こんばんは!
誠己さんのコメント嬉しく思いました。
最後の文章を読んだら、何となくキーンがお書きになっているように感じました。
by 和田純子 (2020-05-01 22:26) 

小林英子

キーン先生はモダニズム文学の真っ只中に青春時代を過ごし,世界中で新しい取り組みが同時進行しているのを目の当たりにされてきたのですから,先生の過去の軌跡を探ることはとても重要でかつ面白いです。これからも辿っていこうと思います。
 『日本人の戦争』でキーン先生の本を読まなければ一生名前を知らなかっただろう新潟県出身の青野季吉について知りました。「戦争の歳月は青野にとって生活の中の大きな空洞であり,西行や芭蕉,良寛の歌を読むことでかろうじて耐えてきた」とあり,キーン先生だけでなく文学が多くの人の心の支えになってきたのを知りました。父母や祖父母の時代の人々が戦争に翻弄され,どう悩み生きてきたかを知ることはとても貴重な経験でした。
by 小林英子 (2020-05-04 00:12) 

和田純子

キーン先生の「日本の戦争」は読んでいません。私は
戦前生まれで、文学は共産主義の文学は国の政策で自由に書けないのは知っております。
今は自由に書けるるので、いろいろな分野の本を読めると思います。
キーン先生は日本人以上日本の古典文学を研究していられるのに感心しています。
記憶力も抜群で、文章もお上手で、私のような無学の者にも理解できるような文です。
最初に京都を訪れた時、一目惚れされたようですが、これが東京だったらどうでしょうか?
読めば読むほど偉大なキーン先生です。
日本文学の伝道師は本当だったのですね。
by 和田純子 (2020-05-04 15:39) 

小林英子

和田様
一面的なことだけではないですよ。高見淳の出生の秘密とか,文学史を手繰っていく上でとっても重要な作家が多く出てきます。是非機会があればどうぞ。
by 小林英子 (2020-05-05 20:31) 

和田純子

小林様
ご丁寧にありがとうございました。
「日本人の戦争」を読んでみようと思いました。
by 和田純子 (2020-05-06 09:23) 

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