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手帖の話3 [ドナルド・キーン]

手帖の話3

この写真は、先日の北区立中央図書館に展示した手帖です。

キャプションにもあるとおりですが、1975年の手帖です。

53歳の誕生日の頃です。

基本は鉛筆ですが、万年筆の文字も二か所ほど見えます。

横に添えられたモンブランの万年筆で書いたかどうかわかりません。

愛用していたと思われる万年筆は三本遺っています。

上から、分かる範囲で私なりの説明をさせていただきます。

6月16日徳岡

とあります。

たぶん夕食時に徳岡さんが来て、父が料理をふるまい、二人でズブロッカを飲んだでしょう。ひょっとして商店街で買い物の一緒にしたかもしれません。

6月17日

6三島

とあるのは、意味不明でですが、6時に三島夫人に会ったのかもしれません。

3:30週刊朝日 Alaska

とあるのは、朝日新聞社のレストランAlaskaで週刊朝日の取材か打ち合わせでしょう。

6月18日角地

とあるのは、翻訳者の角地さん、まだこの頃は翻訳をしていなかったでしょうが、ワインと父の手料理で、父の誕生日を祝ったと思います。

これはご本人に確認してみましょう。

6月19日6ー8Shinchosha Paty 別館地下二階

とありますから、新潮社の別館の地下二階でなにかのパーティがあったようです。

その下のアルファベットは不明です。読めません。

6月20日7:30福田屋(紀尾井町)三木総理 永井文相

とあるのは、紀尾井町の福田屋で、当時の三木総理と親友の永井文部大臣と三人で会食したようです。

6月21日文部省(午後)1:30 霞が関ビル 33ビル

とありますので、文部省に行ったようです。

6月22日

嶋中

とだけありますから、中央公論社の嶋中社長に会ったと思われます。


以上、大急ぎで書きましたから間違いもあるかもしれません。

手帳万年筆展示.JPG

 


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コメント 4

和田純子

キーン先生の手帳を拝見できて嬉しく思いました。
キーン先生の53歳頃、お忙しくご活躍されていたのが目に浮かびました。
サラメシの件、文通している友達にも見て欲しいと伝えました。
by 和田純子 (2021-01-17 10:40) 

小林英子

キーン先生が作家の日記を読み解いたように,キーン先生の手帳を読み解くのは,興味深いです。お忙しくされていたことと,英語と日本語の併記が特徴的ですね。
17日 三島 の後に kaitokakuと読み取れるかもしれません。「開東閣」という港区のジョサイヤ・コンドル設計の三菱グループの普段は非公開の迎賓館かもしれません。
19日は新潮社パーテイは,「ホテルオークラ別館,地下2階 曙の間」のように読み取れます。(旧ホテルオークラ)
その下は 「紀伊国屋サロン」とも読み取れます。間違っているかもしれませんが。
by 小林英子 (2021-01-17 13:39) 

越後 角太夫

小林さんから、貴重な解読をありがとうございました。素晴らしいです。
新潮社のパーティは、新潮社に問い合わせればわかるでしょう。なにかの文学賞でしょうか。
「開東閣」、知りませんでした。しかしそれもありそうです。洋館に興味を持っていて、洋館について原稿を書こうかと思っていたほどでしたから。
by 越後 角太夫 (2021-01-17 17:40) 

和田純子

小林様はすごいですね。
まるでミステリーを解くような感じがしました。
キーン先生も拍手されていますね(笑)
by 和田純子 (2021-01-17 19:46) 

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