坂田藤十郎 偲ぶ会(10月28日) [その他]
坂田藤十郎 偲ぶ会(10月28日)
昨年11月12日に亡くなられた、父と長年親しくして頂いた坂田藤十郎を偲ぶ会が都内のホテルで催されました。
簡素で、しかし華のある、品性のある素敵な偲ぶ会でした。
奥様の扇千景様、息子さんの扇雀さんからも親しくお声をかけていただき感激しました。
歌舞伎座の楽屋での、藤十郎さんと父の写真も飾られていました。
舞台の思い出はやはり曽根崎心中のお初でしょう。
伊賀越の沼津の重兵衛もよかった。合邦の玉手御前も。
私自身も2,3度でしたが、親しく接しさせていただき、一生の思い出です。
あらためてご冥福をお祈りいたしました。
日本経済新聞のコラム「春秋」(10月25日朝刊) [掲載記事・取材など]
日本経済新聞のコラム「春秋」(10月25日朝刊)
知人が、今朝の日本経済新聞のコラム「春秋」を送ってきてくださいました。
「春秋」の執筆陣に父をよく読んでおられる方がいるのではないでしょうか。
とても良い着目点だと思いました。
ここで取り上げられている著書は、『果てしなく美しい日本』(講談社学術文庫)ですが、1959年にニューヨークの出版社からLiving Japanとして出ました。そして14年後の1973年にやっと日本語訳が出たのですが、今も版を重ねています。
父が京都大学大学院に留学して、日本で生活し始め、本格的に日本研究に打ち込んだのが昭和28年(1953年)ですから、その6年後の出版です。
その当時の日本の世相、風俗習慣、教育、政治や経済、勿論芸術文化にいたるまで、日本の歴史にも触れつつ言及していて、今読んでもまったく古さを感じさせない面白い本です。短い期間の日本の生活の中で、よくこれだけのことを書けたものだと驚いてしまいます。
「春秋」の筆者は、この本の中で、父の選挙についての記述に注目して下さったのですね。
中矢一義先生の写真(2013年秋、2014年4月) [ドナルド・キーン]
中矢一義先生の写真(2013年秋、2014年4月)
中矢一義先生は、写真撮影を得意としておられます。
一枚目は2013年秋で、ドナルド・キーン・センター柏崎の開館の時だと思いますが、教え子のジャニーン・バイチマン先生と楽しそうに歓談中ですが、後ろの女性は伊吹和子先生で父の京大時代の同級生であり、谷崎潤一郎の晩年の秘書だった方です。次は2014年4月で、マンションのベランダです。
連載”ドナルド・キーンが遺した「日本を寿ぐ」”(東京新聞:10月18日) [掲載記事・取材など]
連載”ドナルド・キーンが遺した「日本を寿ぐ」”(東京新聞:10月18日)
雑用に追われていたら、10日ぶりの更新になってしまいました。
そして、掲載されてから、ほぼ一週間遅れのご紹介になってしまいましたが、東京新聞の連載記事で『日本を寿ぐ』です。
京都大学大学院に留学するために奨学金を得て来日したのが、昭和28年(1953年)8月末です。
羽田空港から東京駅。東京には止まらずその日の夜行に揺られて京都に着いたのが8月25日の朝。
その日から京都見物が始まりました。
その日の見学は、龍安寺、山崎のサントリー工場、そして夜は先斗町だったと思われます。
今回はその龍安寺のことについて書いてみました。
中矢一義先生の写真(2013年秋) [ドナルド・キーン]
中矢一義先生の写真(2013年秋)
翻訳者の中矢一義先生が、2013年秋に撮影して下さった懐かしい写真をご紹介させていただきます。
親友に見せる打ちとけた笑顔です。
後ろに飾ってある額は、徳岡さんのプレゼントです。
佐渡 山本家来訪人名録4 [ドナルド・キーン]
佐渡 山本家来訪人名録4
また佐渡の山本家来訪人名録を再開させていただきます。
この辺で私の知っている名前は、高野素十、石川達三、北條誠、次に深田久弥、上田三四二。そして阿部知二。
郡司正勝先生は、鳥越文藏先生の先生で父は大変お世話になっていました。阿川弘之、遠藤周作、三浦朱門。最後が五来重と海音寺潮五郎です。
父が一番親しかったのは、郡司先生と、遠藤周作でしょうか。阿部知二と石川達三、阿川弘之も交流があったと思います。
佐渡 山本家来訪人名録3 [ドナルド・キーン]
佐渡 山本家来訪人名録3
木俣修、阪本越郎、中村草田男、福田清人。そして小林秀雄、今日出海、池島新平。そして平林たい子。宮本常一。金田一春彦。吉井勇。曽野綾子と川口松太郎。
明らかに父が会っているのは、中村草田男、池島新平、曽野綾子でしょう。私は今日出海とは国立劇場で、金田一春彦先生の大学授業は楽しくて欠かさず聴いていました。