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二年前の軽井沢にて [ドナルド・キーン]

二年前の軽井沢にて

父は毎年夏に軽井沢で過ごすことをとても楽しみにしていました。昨年は、とても行きたがったのですが、体調が勝れずとうとう行けませんでした。とても残念なことでした。

一昨年の夏が父にとって最後の軽井沢でしたが、写真はその頃の様子です。2017年8月半ばころです。今思うと最後の軽井沢を満喫したと思います。

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和田 純子

こんばんは!
2年前にはキーン先生は軽井沢で夏を過ごされていたのですね。
キーン先生がまるで生きているように感じた私です。
誠己さんはキーン先生のお写真をいっぱい撮られていたのですね。
お陰でキーン先生のお顔を拝見できて嬉しく思います。
by 和田 純子 (2019-08-21 19:56) 

小林英子

ハルニラテラスや,塩沢湖のほとりのタリアセン,千住博美術館辺りがいいですよね。塩沢湖のペイネ美術館や近くの文豪の別荘跡など印象的でした。夏は観光客も多いですが,表通りを過ぎると静かな別荘地。ハルニラテラスの奥方面にビルゲイツ氏の別荘もできたそうですね。キーン先生が生きておられたらお会いしていたかもしれませんね。キーン先生は専ら執筆活動されておられたのでしょうが。
by 小林英子 (2019-08-22 02:04) 

キ-ンさん追っかけ横浜の獣医KK

軽井沢の別荘も追っかけファンとしては、行きたかった聖地。願わくば公開してほしいですし、そんなファンの集いを設定してほしいと切望しています。夢はキ-ンさんの海外渡航先訪問の旅です。一生、悔やまれるのはロンドン公演に行けなかったことですが。ちなみに、またまた、かなりボリュームある食事ですね。やっぱりキーンさんの食欲はすごかった!!
by キ-ンさん追っかけ横浜の獣医KK (2019-08-22 09:12) 

越後 角太夫

皆様から嬉しいコメントをありがとうございました。
1965年から、つまり京都の家(今熊野の下宿)が新幹線工事のために住めなくなり、友人の永井道雄さんの別荘の近くに軽井沢で小さな家を持ちました。山荘とか庵とか言っていました。一時来なかった時期もありましたが、ずっと夏は一か月くらいはここで過ごすことが多かったようです。
私は、父の写真を撮ることは大事なことだと思い、かなり沢山撮り溜めたつもりです。時には、もういい、とか嫌がれたこともありました。
父は軽井沢でビルゲイツには流石に会いませんでしたが、川端康成はじめ皇族の皆様、いろんな方とお目にかかったと思います。でも常に執筆が最優先だったのはえらいと思います。
二年前も、食欲は94歳として相当なものでした。
軽井沢の別荘も、将来の公開の選択肢にはありますが、なにしろ住宅地ですので難しいかもしれません。
by 越後 角太夫 (2019-08-22 13:57) 

和田 純子

キーン先生は食欲旺盛でお元気だったのですね。私は
子どもの頃好き嫌いがあり食が細く夏には今で言えば熱中症のようになり、病院へ行くことが多かったです。体重も37キロで今は41キロになり、なるべく食べるように努力しています。
やはりお肉が元気の源かもしれません。99歳で亡くなった母もお肉が好きでした。
京都の家から東京に引っ越したのは新幹線の為だったのですね。
昔は軽井沢は皇族・政治家の別荘が多かったですね。
by 和田 純子 (2019-08-22 19:21) 

小林英子

ロンドン公演見たかったですね。イギリスのサイトにその時の公演の様子や説明が書かれているものがあります。
https://diversejapan.wordpress.com/2017/06/13/review-the-old-joruri-puppet-play-the-tale-of-the-high-priest-kochi/
今は便利な時代で「弘知法印御伝記」の原本がデジタルで大英図書館のサイトで読めます。
http://www.bl.uk/manuscripts/Viewer.aspx?ref=or_75_g_23!1_f001r  
表紙に書かれた大伝馬町は「ツタヤ」の由来となった書店,浮世絵の版元の蔦屋重三郎の耕書堂もあった町でもあります。
1685年に出版されたということは松尾芭蕉とほぼ同時代ですね。
江戸の様々な文化が栄えていた様子がうかがわれます。
by 小林英子 (2019-08-25 14:50) 

越後 角太夫

小林さん、イギリスのサイトのご紹介をありがとうございました。300年も前の本なのに保存状態がよかったことに鳥越先生は驚いたそうです。「ツタヤ」の由来を初めて知りました。ありがとうございました。
by 越後 角太夫 (2019-08-25 15:03) 

小林英子

http://ryoukan.anjintei.jp/r-1520247-1014.html 
「曽良旅日記」によると,『芭蕉と曽良は 弘智法印像を拝むために 弥彦から峠を越えて西生寺を訪ね 野積から渡部を経由して寺泊経由で出雲崎に向かい 出雲崎で宿泊した』とあります。出版される前から弘智法印は有名な存在であった と推測しますが,何だか現代から見ると,キーン先生ワールドですね。

by 小林英子 (2019-08-28 21:07) 

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