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『兜太』特集キーンと兜太 [ドナルド・キーン]

『兜太』特集キーンと兜太

すみません、帰国後なにかと多忙で、10日間も失礼してしまいました。

藤原書店から出ている俳人の金子兜太先生の為の『兜太Vol.3』Sept. 2019で、「特集 キーンと兜太 俳句の国際性」を編んで下さっています。

父よりちょうど一年ほど前に亡くなられた兜太先生の父についての特集です。

私も、「父ドナルド・キーンと金子兜太」というエッセイを書かせて頂きましたし、私が撮った兜太先生と父のツーショットも使って頂きました。

黒田杏子先生の「ドナルド・キーン先生は永遠です」も父の思い出として大変いいエッセイです。

なにより素晴らしいのは、2006年の父の講演「俳句と芭蕉」です。父がいかに芭蕉を深く理解していたか、俳句の国際性についてどう考えていたかを知るには非常によい講演だと思いました。

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小林英子

アーサーウエイリー氏が生きておられたら,即位の礼の十二単などを見たら喜ばれたでしょうね。他は興味ないとおっしゃって来日は拒むでしょうが。上野の国立博物館の正倉院展,キーン先生が足を運ばれたら喜ばれたでしょう。天下人が切望した香りの香木の「黄熟香」が展示されていて,それを切り取った織田信長,足利義政,明治天皇(行幸の際に使用した)の名前入りで展示されていました。キーン先生の著書に出てくる天下人(信長は本にでてきたかは定かではありません)。上皇様が飼っておられた在来種の蚕の絹糸の弦で,あの当時の琵琶が昔の製法で復元されていました。
シラク大統領も「奥の細道」の愛読者だったとのことで,ヨーロッパにどんな風に翻訳されていったのか興味深いところです。
by 小林英子 (2019-10-26 22:49) 

ピら手

こんにちは。とてもいい写真ですね!是非とも読んでみたいです(^^)
by ピら手 (2019-10-26 23:13) 

小林英子

俳句は詳しくないですが,アメリカ文学学んでいた時も,サリンジャーの作品の中にも俳句は出てきました。禅の思想も。 小説の中の主人公のセリフの中に西行, 芭蕉,一茶の句が出てきてびっくりしたのを覚えています。R・H・プライス「俳句 ― 東洋の文化」等の影響で東洋思想の影響を強く受けたようです。俳句の国際性についてはとっても興味があります。図書館に本があるといいのですが。
by 小林英子 (2019-10-28 00:24) 

和田 純子

金子兜太さんは有名な方ですので、俳句をやろうと思った時に、本を買ったことがあります。
でも、俳句は季語を覚えなくてはならなくて、勉強不足の私は挫折しました。
とても興味がありますので読んでみたいと思いました。
by 和田 純子 (2019-10-28 15:53) 

和田 純子

アマゾンにありましたので、早速注文しました。
読むのが楽しみです。私は買った本をまだ読んで無いのもあります。
一番気に入った本は「このひとすじにつながりて」です。
この歳になり、勉強することばかりの私です。
by 和田 純子 (2019-10-28 20:00) 

小林英子

澤地久枝さんに頼まれて揮毫されたあの有名な文字は金子兜太氏が書かれたものだったのですね。サリンジャーも金子氏もキーン先生も戦争体験者。横の糸が繋がりました。ついでに写真家の故ユージンスミス氏はキーン先生と4歳しか違わなく,同じ時期の沖縄戦や他の激戦地にも行かれた方。ロバートキャパのマグナムの仲間で,今度「ミナマタ」で映画化されるそうですが,キーン先生と親交はあった方か知りたいです。
by 小林英子 (2019-10-29 14:12) 

和田 純子

小林様はいろいろと詳しいのですね。私も
澤地久枝さんのお名前は知っていますが詳しくありません。
小林様はお若いので、戦争は知らないと思いますが、私は戦争を知っています。小学校上がる前で母の実家が田舎でしたので私だけ疎開していました。
そこから街中が焼かれて真っ赤な火が遠くに見えたのが今でも鮮明に残っています。家も焼かれました。
家族は回り道して母の実家にたどり着いたようです。
終戦前には山の上に焼夷弾が落ちるのを見ているので、ヘリコプターの音を聞くと子どもの頃は怖く感じていました。
戦争は本当に恐いです。
キーン先生の本を読んでいると、戦争体験者のご苦労が手に取るように分かります。

by 和田 純子 (2019-10-29 19:44) 

小林英子

母も長岡空襲を経験し,高等女学校時代は毎日,兵隊の服を縫っていたという話をしていました。キーン先生は海軍通訳で青島に派遣された時に,あまりの辛い任務で自ら除隊を申し出たとのこと。サリンジャーも戦時中,激戦地区に出兵し,後にPTSDで精神の治療も受けました。敗戦国も戦勝国も兵士として見たものは,言葉に尽くせないくらいの光景で,深い傷が残り,それがその後の文筆活動にも影響したのだと思います。
by 小林英子 (2019-10-29 22:08) 

小林英子

調べてみたのですが,サリンジャーはコロンビア大学の聴講生,ジャック・ケルアックはキーン先生と同い年でコロンビア大学,アレン・ギンズバーグもコロンビア大学,キーン先生の同世代はアメリカ文学でもビート・ジェネレーションと言われる渦中の時代だったのですね。
by 小林英子 (2019-10-30 11:44) 

和田 純子

『兜太』特集キーンと兜太の本、アマゾンから午前中に届きました。私には俳句は難しく挫折しましたが、、少しでも理解できたら良いなぁ!と思っています。

小林様のお母様は私より少し上のようですので、戦争経験をなさってご苦労なさったのだと思いました。
戦争の恐ろしさはキーン先生の「このひとすじにつながりて」を読んでその時の事が詳しく書かれているので知らなかったことを知り、子どもたちに戦争の恐さを伝えた方が良いと思いました。私は
戦後初めての小学生なので校舎も焼かれて、勉強は余りしていません。今勉強しています。
by 和田 純子 (2019-10-30 13:23) 

K.K

高級紙のエッセイです。
by K.K (2019-10-30 15:12) 

小林英子

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AD%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%A6%E3%82%A2%E3%83%BB%E3%83%80%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%83%B3 第二次世界大戦中のコロンビア大学での事件,ビートニクスの騒ぎの時に,キーン先生は戦場で日本語通訳されていて離れておられたのですね。帰国後知ってびっくりされたでしょう。詩人アレン・ギンズバーグの学生時代のことが映画化され,ハリーポッターのダニエル・ラドクリフらが主演しています。時代背景を知ると新しい発見があってびっくりです。
by 小林英子 (2019-10-30 18:46) 

和田 純子

こんにちは!
『兜太』特集キーンと兜太の本お値段は高かったですが私には
キーン先生を知るのには勉強になります。
誠己さんの冒頭の文章は、本当にご立派の文章で、キーン先生はお喜びになられていると思いました。私がこのブログを知り毎日のように見させていただいているのが不思議に思うときがあります。
2017年11月17日に日本平ホテルの公演に行かなかったら、今はありません。
本当に立派でありながら、謙虚でいられたキーン先生です。
人の顔はその人の人生を物語っているように思えます。
このブログで本を買い、キーン先生の功績を知る私です。私が
毎年作るカレンダーの今年の11月の絵はキーン先生にサインしてもらっている時の写真です。私の宝物です。
本はゆっくり読ませていただきます。

by 和田 純子 (2019-11-01 14:24) 

和田 純子

今、自分の投稿を読んで字が間違ったりしていました。
文章も上手く投稿できませんが、講演を公演になっておりびっくりしました。失礼しました。
by 和田 純子 (2019-11-01 20:03) 

小林英子

私は大学で英米文学学びましたが,レジナルド・ホーラス・ブライス(Reginald Horace Blyth)はイギリス人の英文学者ですが,1946年4月より皇太子の英語教師をし,昭和天皇の人間宣言起草に加わった人物でもあり,1949年に『俳句Haiku』をはじめ『俳句の歴史History of Haiku』で英語圏に俳句を紹介し,多くの俳句作家は彼の著作によって俳句の世界に入ったそうです。その中にはジャック・ケルアック、ゲーリー・スナイダー、アレン・ギンズバーグ、J・D・サリンジャー。ジェイムズ・W・ハケットなど。そのケルアックやギンズバーグとキーン先生はほぼ同窓生だったことを知り,驚いています。時代背景が,人間らしさや自我を開放する深い世界を追求することを求めていたのだと思います。金関寿夫先生が生きておられたらアメリカ文学もキーン先生の事もその時代のことをお聞きしたかったです。

by 小林英子 (2019-11-01 21:07) 

和田 純子

読売新聞の朝刊に今「時代の証言者」は中西進さんです。
万葉集で令和の元号に関与された方なので、毎日読んでいます。
中西進さんは最初は絵に夢中になられたことを知り、教授とお父様の影響で子ども頃から俳句に興味をもたれて今があるのを知りました。
何事も出会いと頭の良さだと思いました。私にはできない事です。私が無学なので子どもたちには大学に行かせました。
娘は小林様とは雲泥の差ですが大学で英文学を学びましたが、お金持ちに生まれたら美術大学に行きたかったと後で言いました。
娘は英文学を学んで英語が分かるだけです。





by 和田 純子 (2019-11-02 20:15) 

小林英子

中西進先生は日本ペンクラブ副会長務めた方ですので,キーン先生とも繋がりがある方ですよね。私など学んでいる部類には入りません。キーン先生は研究者として日本文学や文化をまとめ上げ,海外に発表してきた業績とともに,激動の時代を生きて来られた自伝はまるで長編小説を読んでいるかのような内容の濃密度があります。日本人として気づかなかったことを気づかせてくれ,ゆっくりと読んでいきたいです。(最近オペラのストーリーが里中満智子さんのコミックになっていることを知り,原作も読みたいけれど長編がしんどく感じる昨今,あんちょこを見つけた気分です。図書館にありました)
by 小林英子 (2019-11-04 01:35) 

和田 純子

本当に小林様の仰るように、キーン先生は激動の時代を切り抜けて、日本語を学び日本人以上に本を読まれており、私は本は余り読まなかったので尊敬してしまいます。
日本人でありながらキーン先生から教わることがいっぱいの私です。
娘は本が好きなので里中満智子さんのこと聞いたことがあります。
キーン先生は日本語を学ぼうとしたのは、戦争が与えてくれた贈り物と書かれているのに心を打たれました。
by 和田 純子 (2019-11-04 19:07) 

越後 角太夫

アレン・ギンズバーグがコロン日大学だったとは知りませんでした。父は確かに会ったことがありました。父は、アメリカや英国などの現代作家も相当良く読んでいましたし、アカデミーの会員であれば個人的にもかなりよく知っていました。サイン入りの本が残っているものもあります。スペイン語圏の作家でも、フランス語圏の作家でも現代作家は原語で、多くはないでしょうが読んでいたようです。若い頃からそうだったと思います。そういう幅広くて深い読書歴が、日本文学研究にも役立ったと思います。懐が深いと言うのか、考察が緻密ですよね。
by 越後 角太夫 (2019-11-09 16:44) 

越後 角太夫

写真家の故ユージンスミス氏の名前は残念ながら父からは聞いこともありませんし、私も初めてでした。だからと言って父が知らなかったとは言い切れないと思いますが。少なくとも自伝などには出てきませんし、私も聞いたことがありませんでした。
しかしあの記憶力抜群の父さへ忘れることもありましたから、分かりませんよね。
by 越後 角太夫 (2019-11-09 17:01) 

小林英子

相馬御風著『一茶と良寛と芭蕉』も興味深いです。良寛作の「焚くほどは風がもて来る落葉かな」と原形である一茶作の「焚くほどは風がくれたる落葉かな」について,相馬御風氏の解釈と金子兜太氏の『漂白三人』の「ある庶民考」という項の中での金子氏解釈は若干異なるようで,門外漢の私は判断つきませんが,読み手によって解釈の違うのもまた面白いところです。新潟県出身者としていつかは読みたいです。ハードルが高いですが。
by 小林英子 (2019-11-10 01:07) 

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