ドナルド・キーンの毎日を息子のキーン誠己(越後角太夫、鶴澤淺造)がご紹介します
記念バッジは本当に大切な物だと思います。それを眺めるとその時のことが思い出されます。私にも忘れられないバッジがありますね。キーン先生もあの世でそんな時もあったと想い出していることでしょう! by 和田純子 (2021-02-11 07:50)
1970年ということは,三島由紀夫が亡くなった翌年でしょうか。キーン先生と親友でもあった三島由紀夫を失い,キーン先生も,心の整理をするのに時間がかかったのではないかと推測します。オーストラリアは日本語熱が盛んで,日本文化にも関心が高い人が多いですよね。幼稚園から日本語を学んだ人も知り合いにいます。 by 小林英子 (2021-02-11 12:41)
よく見ると1971年ですね。三島さんが亡くなられた翌年です。そうですねオーストラリアは、意外と日本文学研究者も多いと思います。父の教え子もオーストラリアで教え、晩年も過ごしておられる方もいます。父は2017年にオーストラリアに講演に行くつもりだった、ということもありました。 by 越後 角太夫 (2021-02-11 22:21)
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記念バッジは本当に大切な物だと思います。
それを眺めるとその時のことが思い出されます。私にも
忘れられないバッジがありますね。
キーン先生もあの世でそんな時もあったと想い出していることでしょう!
by 和田純子 (2021-02-11 07:50)
1970年ということは,三島由紀夫が亡くなった翌年でしょうか。キーン先生と親友でもあった三島由紀夫を失い,キーン先生も,心の整理をするのに時間がかかったのではないかと推測します。
オーストラリアは日本語熱が盛んで,日本文化にも関心が高い人が多いですよね。幼稚園から日本語を学んだ人も知り合いにいます。
by 小林英子 (2021-02-11 12:41)
よく見ると1971年ですね。三島さんが亡くなられた翌年です。そうですねオーストラリアは、意外と日本文学研究者も多いと思います。父の教え子もオーストラリアで教え、晩年も過ごしておられる方もいます。
父は2017年にオーストラリアに講演に行くつもりだった、ということもありました。
by 越後 角太夫 (2021-02-11 22:21)