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10日遅れの99回目の誕生祝(6月28日) [ドナルド・キーン]

10日遅れの99回目の誕生祝(6月28日)

今年の父の誕生日6月18日は、どうしてもの用事があり、10日遅れで6月28日になりました。

少人数でお墓参りして、家で少しだけ飲食して、父の白寿を祝う小さなパーティでした。

来年の100歳は大いに祝いたいものです。

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小林英子

キーン先生が今生きておられたら,コロナ禍にどんな発言をされたのでしょう?
私は閉塞感の漂う中,『日本人の戦争』の話をよく思いだしました。「元来日本人には理想なく強きものに従ひその日その日を気楽に送ることを第一となすなり」という 永井荷風『断腸亭日乗』の一節がしっくりと納得できました。テレビ報道を妄信する前に,ウイルス学者の本を何冊か読むと,納得することも多々ありました。

森鴎外は文豪としては立派ですが,軍医としての評価はかなり辛辣な評価が多いのも事実です。森鴎外の陸軍は明治の3つの戦争において
30万人近い脚気患者を出し3万を超える脚気死者を出しました。海軍では高木兼寛が中心となって「航海実験」を行い兵食を洋食化→麦飯化することによって脚気を熄滅することに成功しました。鴎外は「兵食は白米が最高」「麦飯を支給すべからず」をまげず,「ドイツ医学の権威を盲信」「東大医学部の党派性を盲信」し脚気患者大量発生の責任者となっても過ちを認めることもしませんでした。さらに鴎外は自分の身体を他の医師に診せず晩年も自分が結核であることを隠し,死因も結核以外の病名にしたそうです。

どの観点で見るか,によって評価が変わるということ。つまり柔軟性をもって色々な視点で考えることが,本を読んで確認し自分で考えることが大切だと思うこの頃です。
by 小林英子 (2021-07-01 13:43) 

和田純子

キーン先生の白寿のお祝いをなさったのですね。私の母は
白寿のお祝いを自宅ではできなくなり、私は病院に行き何も食べられなったので、誕生カードを渡そうとしましたが、もうその時は喋ることもできず、そのカードをお棺の中に入れたのを思い出しました。
来年、キーン先生の百歳の行事に是非参加したいですね。
by 和田純子 (2021-07-02 08:57) 

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