新潟で『弘知法印御伝記』(12月3日)6 [「越後國・柏崎 弘知法印御伝記」の公演]
新潟で『弘知法印御伝記』(12月3日)6
最初の写真は、開演後、父と鳥越先生のトークが終わって休憩時間、私は調弦したり、舞台の直前の準備と精神統一の、極めて大切な時間です。
そこへ突然ファンの御嬢さんがはいって来られ、父のことが載っている英語の教科書を見せて下さったり、いろいろありました。とても感じの良いお嬢さんで、私も対応してあげて、父も嬉しそうでした。
私は、落ち着かないまま舞台に上がらざるをえませんでした。
その後の二枚の写真は、『弘知法印御伝記』の公演も終わって、きれいな花束を頂き、楽屋に戻って一休みです。私は三味線などの片づけに専念しています。
新潟で『弘知法印御伝記』(12月3日)5 [「越後國・柏崎 弘知法印御伝記」の公演]
新潟で『弘知法印御伝記』(12月3日)5
公演当日の12月3日になりました。私は11時頃に楽屋入りして準備を始めたと思います。父とバイチマン先生、吉崎さんは12時過ぎだったと思います。1時過ぎに昼食を摂っていますが、父は剽軽ぶりを発揮しています。
新潟で『弘知法印御伝記』(12月2日)4 [「越後國・柏崎 弘知法印御伝記」の公演]
新潟で『弘知法印御伝記』(12月2日)4
猿八座の人形と一緒のリハーサルです。9月24日に柏崎で同じ公演を上演しましたので、気心は知れていましたが、やはり舞台は舞台で、お互いに切磋琢磨し合ったと思います。
三枚目はリハーサルが終わって、弟子の角壽太夫が見台を楽屋に持ってきたところです。
それから後の写真は、ホテルの「弥彦」というレストランでの夕食です。バイチマン先生と吉崎さんと一緒です。8時頃でした。
新潟で『弘知法印御伝記』(12月2日)3 [「越後國・柏崎 弘知法印御伝記」の公演]
新潟で『弘知法印御伝記』(12月2日)3
一枚目ですが、「腕がため」といって野球で言うと素振りのような練習をしているところです。撥を挙げて下ろす、つまり弾く時のフォームを固め、手首をやわらかくし、三味線を弾く時の力をつける、などの意味があります。義太夫以外の三味線ではこういう練習はあまりなのではと思います。正確には分かりませんが、他のやり方でそのような練習をしているでしょうね。
いずれにしてもこの「腕がため」は、毎日の練習の中で非常に重要視されています。糸に手ぬぐいをかけて音が出ないようにして練習しています。
その後の写真は、リハーサルの始まる直前の、私の舞台の様子です。全てこの辺は角壽太夫の撮影によるものです。
新潟で『弘知法印御伝記』(12月2日)2 [「越後國・柏崎 弘知法印御伝記」の公演]
新潟で『弘知法印御伝記』(12月2日)2
新幹線の車中では、東京駅から乗ってこられたジャニーン・バイチマン先生と一緒でした。3時過ぎに新潟駅に着きました。タクシーで、ホテル・オークラへ行き、私だけはそのままりゅーとぴあへ行きました。楽屋では、私より一時間ほど前に弟子の角壽太夫が来て準備していてくれました。私は直ぐに着替えて、リハーサルの準備にかかりました。写真は、調子笛を吹いて調子を合わせているところです。
新潟で『弘知法印御伝記』(12月2日)1 [「越後國・柏崎 弘知法印御伝記」の公演]
新潟で『弘知法印御伝記』(12月2日)1
ちょっとケンブリッジがご無沙汰ですみません。
9月24日の柏崎に続いて、新潟市のりゅーとぴあ(新潟市民文化芸術会館)でも12月3日に、ロンドン公演を記念して『越後國 柏崎 弘知法印御伝記』の二段と三段の公演がありました。
例によって前日2日に新潟へ出発しました。
正午前に、これも例によって吉崎さんに同行して頂き、家を出て、タクシーで上野駅まで行きました。駅構内はクリスマスツリーがありました。アンデルセンでサンドイッチを買って、待合室で時間まで待ちました。12:46の新幹線でした。
新潟市でも『弘知法印御伝記』ロンドン公演記念(12月3日) [「越後國・柏崎 弘知法印御伝記」の公演]
新潟市でも『弘知法印御伝記』ロンドン公演記念(12月3日)
9月の柏崎に続いて、新潟市のりゅーとぴあでも、『弘知法印御伝記』がロンドンの大英図書館で上演されたことを記念して、同様な公演が開催されます。
柏崎より、新潟の方が東京方面から来られるには便利だと思います。どうぞくれぐれもよろしくお願い致します。
柏崎公演9(9月24日) [「越後國・柏崎 弘知法印御伝記」の公演]
柏崎公演9(9月24日)
これも朝日新聞の柏崎さんの貴重な写真です。
幕が閉まった後の、再度幕を引いて、カーテンコールの様子です。
次は、八郎兵衛さんが人形の遣い方などについて解説されているところです。
最後は、花束贈呈です。
柏崎さん、柏崎公演の貴重な写真をありがとうございました。