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記者会見でのシンボルマーク(1月8日) [ドナルド・キーン]

記者会見でのシンボルマーク(1月8日)

記者会見当日、会場は北区立中央図書館でした。

「黄犬忌」のシンボルマークと、父の書いた黄犬忌の文字です。「黄犬」の父が書いた文字はありましたが、父が書いた「忌」の字が見つからず、父の書いた「己」と「心」の文字を文藝春秋のデザイナーさんがとても上手に合成して下さいました。結果的に黄犬忌は父の直筆文字です。

シンボルマークの黄色い犬は、子供の頃可愛がっていたビンゴという白いスピッツがモデルです。このデザインは私の兄です。

ビンゴがどんな犬だったかについては、二月に出版される岩波書店の新刊、ドナルド・キーン著『黄犬交遊抄』の解説(あとがきに代えて)に書かせて頂きました。

テーブルの上には、花が飾られ、横には父の遺影もありました。

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ピら手

こんにちは!
キーン先生の字、とても好きですし、愛犬とのコラボも素敵ですね!(^^)
おくのほそ道風景地の草加松原の石碑や、漸草庵、そして、先生のお名前のサインなど、字を見ると先生がそこにいらっしゃるかのように思えます。
新刊もとても楽しみです。
by ピら手 (2020-01-11 00:31) 

小林英子

キーン先生は三島由紀夫と言葉遊びを楽しんでおられましたよね。日本文学が好きな外国人も理解できる文学の拠点みたいなものが日本にあればいいですね。『奥の細道』も俳諧が「貞門派」から「談林派」そして「蕉風」へと確立する,歌枕の旅をする道中,たとえば天童では当時,紅花栽培が盛んで紅花問屋の裕福な商人が排席を開いていて芭蕉もそれに参加していたようですね。日本百名山の1つで標高1980mの月山にも芭蕉は訪れていますがキーン先生はお若い頃登られたのでしょうか?登山靴もなかった芭蕉の時代は登山も大変だったと思います。芭蕉のように,自然を愛で,道を模索する真摯で謙虚なかつての日本人をキーン先生は魅かれたのではないでしょうか?奥の細道の平泉には行きましたので今年は羽黒山に行く予定です。
by 小林英子 (2020-01-11 01:47) 

和田純子

キーン先生がお書きになった字をお使いになるなんて、心がこもっていると思いました。
愛犬のビンゴの顔が何となくキーン先生に似ていると思いました。
小林様はいろいろとお詳しいのに感心しております。私も
平泉には行きました。
by 和田純子 (2020-01-11 20:45) 

小林英子

関東では千住大橋の手前には芭蕉の矢立初の像があり,千住仲町公園に富嶽三十六景「隅田川関谷の里」の碑があり,草加市には札場河岸公園が整備され,現在はあちらこちらに松尾芭蕉と、弟子の曽良の像が建立されているのですね。私が草加にいた昔は団地しかありませんでした。富嶽三十六景や,奥の細道が見直されたきた証拠ですね。これはいい傾向だと思います。東北や日本海側では芭蕉については今も地味な扱いのような感じですが。海外で浮世絵がブームになったり日本の文学が海外に翻訳されたりしてきたことが少なからず影響してきたのも一因だと思います。キーン先生は日本文学の明治維新?の立役者だと思います。
by 小林英子 (2020-01-12 00:22) 

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