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追想ドナルド・キーンさん(新潟日報 2019年3月28日) [掲載記事・取材など]

追想ドナルド・キーンさん(新潟日報 2019年3月28日)

父が亡くなって一か月ほどの記事です。新潟日報で、父の担当者、そして私の連載の担当者だった、つまり私たち二人のことをよくご存じの高内小百合さんの記事でした。

2019-03-28新潟日報(追想 DKさん).jpg

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小林英子

日本をこよなく愛したキーン先生でしたが,はたしてキーン先生の愛した日本の素晴らしい姿はどれだけ残っているかと考えると,がっかりさせるような事ばかり多かった気がしてなりません。若い人の活字離れ文学離れなど。そして自分の頭で考えないでメデイアを鵜呑みにしてしまうこと。クリテイカルに考えないのは宗教と同じだと思います。
 コロナで大変な状況も経験しましたが,経験してこそわかったこともあります。海外の大学,美術館,コンサートホールが即座にオンラインに切り替え情報発信し,Courseraではキャンベル先生の「日本の19世紀」の授業を英語で聴いたと友人が教えてくれました。MoMAのアートの授業もCourseraでは原則無料で受講でき(英語),キーン先生がもっと後に生まれていたら,私も授業をオンラインで受けられたりもできたかもしれないとも思いました。新しい時代の変化に模索しながら前へ進みたいと思います。
by 小林英子 (2020-07-10 22:47) 

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三島由紀夫は川端康成に「川端さん,東山文化書いてくださいよ」とかつて話していて,川端康成も「東山いいですね〜書こうかとは思ってるんだけどね〜」と雑誌に載っていたようですが,二人が叶えなかった東山文化についてキーン先生は『足利義政』を書いておられます。二人の美意識を十分理解していて,キーン先生も独特の美意識をもっていたからこそ書かれたのだと思います。二人の日本文化の美を理解するが故,それを共有できる人がだんだん減っていって寂しい思いをされていたところに誠己さんと出会って救われたのではと思います。家族が欲しかったのもそうですが,戦争体験,美意識,価値観その他を共有できる人物を晩年得て,キーン先生は幸せだったと思います。
by お名前(必須) (2020-07-11 19:35) 

越後 角太夫

私も、三島由紀夫と川端康成の話は、どこかで読んだことがありましたが、父はたぶん、仰るようにおふたりのそのような美意識に近いものがあったと思います。最近『足利義政』を読みましたが、名著だと思いました。私が父を救ったかどうか私にはわかりませんが、一緒に過ごせたことは父にとっても私にとっても幸せなことだったと思います。
by 越後 角太夫 (2020-07-11 22:10) 

和田純子

本当に最後は血のつながった親子以上の愛で分かりあえる誠己さんが息子になってくれたのを、何より日本人になって良かったことでしょうね。
キーン先生がこのブログが続けられているのを喜ばれていることでしょう!
今日友達に会い、キーン先生の素晴らしさを伝えたら、いろいろと勉強しているのねと褒められました。
80歳になりこのブログで勉強させていただいています。
by 和田純子 (2020-07-11 22:25) 

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