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佐渡 山本家来訪人名録2 [ドナルド・キーン]

佐渡 山本家来訪人名録2

山本家来訪人名録シリーズの第二回目です。

亀井勝一郎とは父は対談したことがあり、暉峻康隆は、早稲田の国文学の先生でしたが、父は親しかったようです。

宮尾しげをは、なぜか私は若いころにお目にかかったことがありました。


井上靖は、父はお目にかかったことはありましたし、井上靖賞もいただいていました。

有田八郎は、佐渡出身の代議士で、外務大臣もつとめたと思いますが、三島由紀夫の『宴のあと』のモデルになり、プライバシーの侵害で訴訟に発展しましたが、それは日本では初めてのことでした。

その次は、丹羽文雄、河上徹太郎、吉田健一、源氏源太、それから俳人の木俣修、福田清人、中村草田男、それから小林秀雄でしょうか、今日出海、池島新平。父とも関係のある方が多そうです。


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コメント 5

和田純子

山本家来訪人名録には、有名著名人が載っていられたのですね。
いろいろと勉強になります。
井上靖は子どもの頃静岡に住んでいられ、「しろばんば」の小説を読みました。
キーン先生は井上靖にお会いされており、井上靖賞もいただいていたのですね。
by 和田純子 (2021-09-30 08:34) 

小林英子

佐渡の観光というより文化を探求しに,著名人がたくさん訪れていたのは素晴らしいですね。義兄は早稲田の国文学専攻でしたので,時代が同じければ暉峻康隆氏に教わっていたかもしれませんので,今度聞いてみようかと思います。2枚目の写真の宮栄二氏も『北越雪譜』の校注つけたり,良寛の書を書かれたりした方ですね。実家とも交流ありました。
私が生まれるずっと以前ですので,新幹線もなかった時代,移動に時間がかかったと思いますが,それをいとわず,文化の魅力に足を運ばれたということですね。
by 小林英子 (2021-09-30 10:08) 

越後 角太夫

本当に、無名な方も著名な方も佐渡を訪れ、そして山本家に立ち寄っていることがわかりますね。宮栄二さんについては偶然に私のカメラにはいっていたのです。小林さんのご実家ともご交流がおありでしたか。佐渡は、2005年前後何回も行きましたが、もうそれ以前とは違っていたでしょうが、それでも芸能の宝庫の名残は存分に味わうことができました。能楽堂がいくつも残っていて、能が地元の方たちによって演じられていました。地面に茣蓙をしいて拝見しました。私もそんなところで古浄瑠璃を演奏しました。
by 越後 角太夫 (2021-10-01 01:00) 

小林英子

良寛愛好者は亀田鵬斎を知っている人も多いと思いますが,江戸期に亀田鵬斎も佐渡を訪れ,山本家も訪れたようです。佐渡だけでなく越後も旅し,良寛とも会っています。お酒が好きな鵬斎のために,良寛は里に酒を求めに行ったのに,なかなか戻らず,鵬斎が様子を見に行くと,山中で月をうっとりと眺めていたという逸話があるそうです。
「鵬斎は越後がえりで字がくねり」という川柳が残されているそうですが、実際は良寛より懐素に大きく影響を受けたそうですが,その字が当時人気だったそうです。亀田鵬斎は良寛の書の素晴らしさを江戸で広めた人物とも言えます。
亀田鵬斎は酒井抱一や谷文晁とも親交があり,亀田鵬斎が病に倒れると酒井抱一が近所に引っ越して看病したそうです。
江戸時代の交流は興味深いです。

by 小林英子 (2021-10-01 14:51) 

お名前(必須)

亀田鵬斎が訪れたことは後で書きたいと思っていました。文化7年に山本家を訪れ三日間滞在し講義をしたとあります。松浦武四郎も弘化4年に山本家を訪れているそうです。『佐渡日誌』があり読みたいと思っています。
by お名前(必須) (2021-10-02 16:52) 

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