追悼 鳥越文藏先生 [その他]
追悼 鳥越文藏先生
近世演劇の第一人者で、ドナルド・キーンの親友だった鳥越文藏先生が、5日朝にご逝去されました。
心からご冥福をお祈り申し上げます。
父だけでなく、私も筆舌に尽くしがたいほどお世話になりました。
父は、1954年ころから亡くなるまで約65年間、私は1972年ころから今まで49年間、お世話になりました。
『越後國柏崎 弘知法印御伝記』は鳥越先生のお陰で上演することができました。
3日にお電話で、お元気そうなお声をお聞きしたのが、最後でした。
合掌
カーティス翠さんの個展(3月27日) [その他]
カーティス翠さんの個展(3月27日)
今日は、父のかわいい教え子のひとり、政治学者のジェラルド・カーティス先生の奥様の個展に銀座まで行ってきました。ご夫妻ともに、コロナウィルスのため一昨年、私がお目にかかって以来、ずっとニューヨークにいらっしゃるそうで、奥様の翠さんと画廊でリモートでお話ししました。ご夫妻ともとてもお元気そうでほっとしました。
素敵な作品を楽しく、うれしく拝見して帰りました。
翠さんは、東京やニューヨークで何回も個展をされているそうですが、父は東京もニューヨークも両方で三回はうかがっているそうです。父からもそのように聞いていました。
駒込駅北口の桜もきれいでした。
木下杢太郎記念館(3月7日)3 [その他]
木下杢太郎記念館(3月7日)3
杢太郎の生家をそのまま記念館にしたことは、伊東市として正解だったと思いました。
維持が大変でしょうが、今後も大切にしていって欲しいです。
日曜日にもかかわらず来館者が少ないのが気になりましたが、コロナのせいかもしれません。
絵画作品、初版本、書簡など興味深い展示もたくさんありました。
実は、恥ずかしいですが杢太郎は読んだことがないと思いますから、ぼちぼち読み始めたいです。
木下杢太郎については以上です。
木下杢太郎記念館(3月7日)2 [その他]
木下杢太郎記念館(3月7日)2
ちょっと間がありましたが杢太郎の二回目です。
私も、明治半ばに建てられ、昭和初めころまでに増築を繰り返した家に住んでいたので、杢太郎の生家はポンプ井戸をはじめとても共通点が多く、楽しく拝見しました。現在の文明化された家屋より、不便でしょうがなんとなく暖かい感じがしますね。
木下杢太郎記念館(3月7日)1 [その他]
木下杢太郎記念館(3月7日)1
この日、伊東駅近くでイカ丼を食べてから、一度伊東駅に戻り、観光案内所で地図をもらって、5分ほど歩いたところにある木下杢太郎記念館に行ってみました。
ご存じの方もおられるかもしれませんが、父は『続百代の過客』において木下杢太郎の日記について考察し、執筆しています。
父と一緒に来たかったのですが、叶いませんでした。
今回記念館に来てお聞きしたのですが、父が来訪した形跡は残念ながらありませんでした。
杢太郎の生家が記念館になっていて、明治時代の木造家屋で文化財にもなっていて、とてもいい感じで楽しめました。伊東市の運営でした。
父も書いていますが、優れ医者であり、歌人であり、随筆家であり、画家であり、すべてが一流で本物でした。現代にもそういうことを自慢げに言う方がいるようですが、杢太郎を前にしたら恥ずかしくてそんなことは言えないでしょう。
伊豆へ(3月7日) [その他]
伊豆へ(3月7日)
ちょっとまた戻りまして伊豆のお話です。
3月7日の昼食は、伊東駅に近い行きつけの寿司の海女屋に行きましたが、ここでも歓迎されました。
ここは、父は永井道夫先生ご夫妻や安倍公房さんとも来たことがあるそうです。
昼食に来たのは初めてでした。
イカ丼を大変美味しくいただきました。